平成16年9月1日設立の有限会社Stylishは、百数十年にも及ぶ『千秋座』の歴史と代々続く芸能文化に対する、夢と情熱の精神を受継いでいます―。

昭和5年 千秋座改装時より受け継がれてきた館名入りの鬼瓦
維新の熱気、いまだ冷めやらない明治14年(1881年)、阿知勘右衛門によって倉敷の街に開座した劇場千秋座。
岡山県だけでなく西日本でも草分けの常設芝居上演館として、以来大正から昭和初年へと変らず親しまれ続けた、草創期の歩み。
そして倉敷実業界などの要請により来倉した初代鳥井徳太郎の経営に転じて、時代を先取りした映画上映館としての道程を歩みはじめ、大戦をはさむ激動の時代にも、一貫して人々に大いなる夢の提供に努めつづけてきました。
こうして刻んだ百数十年にも及ぶ千秋座の歴史、そして鳥井興行(株)として初代鳥井徳太郎から代々続く芸能文化に対する、夢と情熱の精神を、モデル芸能プロダクションとして(有)Stylishは引き継いでいます。

大正8年頃の千秋座
・明治14年 この年、阿知勘衛門芝居専門の千秋座を創業する
・明治18年1月 千秋座中興の祖にして初代 鳥井徳太郎誕生
・大正13年3月 千秋座2代目 鳥井徳治誕生
・昭和2年 倉敷商工会議所第2代会頭石井熊夫氏(大原孫三郎氏の義兄)大原家の依頼で治安維持のため鳥井徳太郎を倉敷に招致。徳太郎、千秋座を買収し経営に乗り出す
・昭和3年3月 徳太郎、株式会社千秋座創立(当時倉敷市内に株式会社は千秋座を含め22社しかなかった)

昭和5年改装後の千秋座
・昭和5年4月 徳太郎、岡山県興行協会(興行組合の前身)の副会長に就任
・昭和6年4月 徳太郎、倉敷備中浅口児島郡合同支部長就任、松竹関西館主組合長就任
・昭和8年4月 徳太郎、日本興行仮設協会常任理事就任
・昭和10年4月 徳太郎、日本興行協会理事就任
・昭和10年 この年、徳太郎私費を投じ商店街を整備
・昭和16年4月 2代目、鳥井徳治(株)松竹撮影所入社

徳太郎 千秋座社長就任二十周年特別興行~片岡千恵蔵・月形竜之介来倉 風景

徳太郎 千秋座社長就任二十周年特別興行時 千秋座前にて <左から 田中徳三郎氏、徳太郎、三木吉次郎氏、徳治>
・昭和18年1月 徳太郎を中心に、専務として三木吉次郎氏(北光プロモーション初代)柴田勝次郎氏、田中徳三郎氏(倉敷東映初代社長)らと有限会社旭興行設立。全芸人(現在のタレント)の中四国興行権を掌握
・昭和20年4月 徳治、(株)千秋座入社、松竹(株)大阪支店出向
・昭和20年8月30日 松竹大船制作「伊豆の娘たち」で千秋座終戦後映画興行の口火を切る
・昭和21年9月 徳太郎、千秋座社長就任20周年特別興行開催、片岡千恵蔵・月形竜之介ら来倉敷
・昭和21年10月1日 徳治、(株)千秋座取締役就任
・昭和21年11月2日 千秋座3代目 鳥井松治郎、徳治の長男として生まれる
・昭和22年4月 徳治、鳥井興行株式会社設立、代表取締役に就任

昭和23年5月6日付 山陽新聞

徳太郎葬儀時の千秋座通り (現在の倉敷一番街商店街)
・昭和23年5月 徳太郎、大原総一郎氏らの構想による倉敷駅前再開発の調整中、若者の凶刃に倒れ61歳で不慮の死を遂げる
徳治、故徳太郎追善興行を開催、阪東妻三郎ら来演
・昭和24年2月 中国地方相撲巡業
・昭和24年4月 徳治、岡山県興行組合副組合長並びに倉敷・浅口・児島郡三税務署管内合同支部長に就任
東久邇宮来倉、徳治警護役の任を努め宮家より感謝状授与の栄を賜る
・昭和24年5月 倉敷市営球場完成、松竹ロビンズを招く

昭和24年 大相撲鳥取巡業 (時の四横綱とともに) 左から2番目が徳治
・昭和27年10月 池田隆政氏と順宮厚子内親王の御成婚式に徳治出席
・昭和28年5月 徳治、故徳太郎7回忌追善興行を開催、丹下キヨ子・堺俊二ら来演
・昭和29年 千秋座場内を改造し倉敷市内最初のシネマスコープ上映開始

昭和30年 倉敷日活オープン <左から7番目が徳治>
・昭和30年4月 徳治、完全冷暖房設備完備の倉敷日活開館、「東京の人」前後編上映
・昭和31年 この年、千秋座完全冷暖房完備設備のため改造
・昭和42年12月 3代目、鳥井松治郎、鳥井興行株式会社入社
・昭和44年 松治郎、森下芸能社(後の北光プロモーション)にて興行部門修行の為研修

松竹館主会~映画「4人目の淑女」に徳治も出演
・昭和45年8月 松治郎、鳥井興行株式会社 支配人就任
・昭和50年11月10日 千秋座4代目 鳥井大治郎、松治郎の長男として生まれる
・昭和52年5月 センシュー興業株式会社設立

昭和53年 センシュービル建設前の千秋座
・昭和53年8月 センシュービル建設のため、さよなら千秋座特別興行開催(シェーン、ミクロの決死圏100円興行)
・昭和54年3月 倉敷最初の飲食テナントビル、センシュービル開業。千秋座をセンシュー座に改称
・昭和56年3月 故徳太郎33回忌追善興行開催、三波春夫公演に市民無料招待実施

昭和54年 センシュービルオープン記念式典 <左から 大治郎・松治郎・徳治>
・昭和56年12月 洋画専門館スカラ座開館
・昭和58年7月 センシュー座にドルビー装置設置
・昭和58年8月 ハニーランド開業
・昭和60年6月 徳治、岡山県環境衛生同業組合副会長就任
・昭和61年1月 松治郎、社団法人倉敷青年会議所理事長就任
・平成元年12月 徳治、第34回映画の日執行委員会より40年間の映画事業への従事と業界発展への貢献に対して表彰を受ける
県下初のビル内カラオケボックス「カラオケルームセンシュー」開業
・平成4年6月27日 千秋座創業111周年、鳥井興行(株)創立45周年、センシュー興業(株)創立15周年 記念祝賀の集いを倉敷アイビースクエアフローラルコートにて開催、中村晃子・河内家菊水丸ら来演
・平成10年4月 大治郎、(株)松竹マルチプレックスシアターズ入社

平成10年12月 センシュー座・スカラ座に新館を加え「シネマセンシュー1・2・3」にリニューアル
・平成10年12月12日 センシュー座、スカラ座に新館を加え「シネマセンシュー1・2・3」としてリニューアル改装 倉敷市内初のデジタルサウンドシステム導入
・平成11年 イオン倉敷ショッピングセンター内のシネマコンプレックスMOVIX倉敷の経営母体(株)松竹マルチプレックスシアターズと合弁会社(株)SMTセンシューを設立
・平成12年6月30日 シネマセンシュー 1・2・3閉館
・平成12年10月28日 県内初のドライブインシアター「ドライブインシアターDITS」開業
・平成14年2月1日 倉敷チボリ公園内カルケバレン劇場にて「フィルム・アンド・ライブシアター」として映画上映を開始
・平成14年3月 大治郎、有限会社プロモートセンシュー 代表取締役就任
・平成14年9月 鳥井貴美子(現(有)Stylish代表取締役)来倉
・平成15年5月2日 創業の地にて大衆演劇専門館として「芝居小屋 千秋座」開業

平成15年 大衆演劇専門館 芝居小屋千秋座 開業
・平成16年9月1日 有限会社Stylish設立
・平成17年11月25日 多様化する娯楽の中、千秋座は124年の歴史に幕を閉じる

平成23年12月 松治郎告別式 僧侶5名による読経の中、1000名を超える参列者と最期のお別れ
・平成23年12月14日 松治郎、病床に伏し死去 享年66歳
・平成24年4月4日 徳治、死去 享年88歳
・平成26年 有限会社Stylish設立10周年

千秋座館名入りの鬼瓦は現在Stylishの事務所ロビーに保管展示しています